シュタイナーとの出会い②
〜歯科技工士かよっ!!〜
高校3年生から遡ること6年。小学校6年生の時にミヒャエル・エンデの「はてしない物語」が「ネバー・エンディング・ストーリー」として映画化されて、日本でも公開されていました。
当時SFX映画が様々なジャンルで公開されていました。ゴーストバスターズ、グーニーズ、バックトゥーザフューチャー等など、同世代の方ならあーって感じの時代です。
ファンタジー物としては当時絶大な人気を博した「ネバー・エンディング・ストーリー」。ちょうど映画が楽しくなってくる年頃だったこともあり、ファンタジー物もとても好きだったので夢中になって見ていたことを思い出します。「ネバー・エンディング・ストーリー」のストーリそのまま、現実なのか映画なのか分からなくなるような感じで没頭してその世界観に浸ってました。後日談で、原作を読み、彼の背景なども少し知って、エンデ自身がこの映画を気に入っていなかったことを知ったのですが、配役といい、SFXで再現したフッフールや様々な登場人物もすごく凝ったデザインで(今時のコンピューターグラフィックと比べたら勝ち目はないんですが)、作り手の思い入れを強く感じれる作品だと思うんですよね。原作の一部分を映画化したものではあっても、見る側としては今でも好きな映画のひとつです。原作は映画化出来るようなものでもないので、商業化する形としては悪くなかったとは思いますが、原作者としてはゆるせなかったんでしょうね。
私にとってこの「はてしない物語」がとても印象的だったのは、主人公のバスチアンと自分の境遇のでした。母を早く亡くし、歯科技工士の父と暮らすバスチアンの境遇が、親の離婚で小1以降、歯科技工士の父と兄弟とおばあちゃんと暮らしていた自分とだぶり、こんな不思議なこともあるのかと子どもながらに運命的なものを感じました。歯科技工士も珍しい仕事ですし(小学生は聞いても知らない子が多かったし、、、。友達には入れ歯みたいなのつくるやつって説明してました。差し歯っていっても小学生はほぼ分からないですよね)、わたしが子どもの当時は、離婚も周りであまり聞かなかったし、父親が子どもを引き取るケースもレアケースだったと思います。
余談ですが、離婚って言葉の前に離婚の現実を生活をもって知っていたので、三浦一義事件、懐かしのロス疑惑!(若い人は知らないよな〜)のニュースが夏休みにワイドショーでやっていて、離婚だどうだって話をしていて、あーっ!、うちって”離婚”!なんだって知りました。言葉よりも先に現実をしっているってとてもいい体験ですよね。一般的に言う言葉は、言葉が現実でなくて、その言葉が指そうとする現実が、現実なんだってことをすごく印象的に体験できました。
余談はさておき、不思議な事もあるんだなということと、それと同じくらい”幼ごころの君”に新しい名前を付けるというモチーフがすごく印象に残っていました。
自分が物語の生みなし手になる。その物語というのは自分の人生でもあるんですけど、その物語の生みなし手になるというモチーフ。そのモチーフがわたしにとってとても今でも大事なモチーフとなっていますし、その後20代の時、シュタイナーで挫折しそうになったときの救いのひとつになってくれました。
本を通して物語を読んでいたバスチアンが、幼ごころの君を見る感じとか、とても映画でよく表現出来ていたと思います。あの時、子ども心に感じた何かを今でも生々しく感じられるような体験でした。
それではまた明日。
シュタイナーとの出会い①
Tobichiiiii!!!!!
昨晩、仕事の後の教養ワーク後に、
シュタイナー学校をつくること⑦
シュタイナー学校をつくるということ⑥
〜理想から自由になる〜
妥協ということばを巡っていろいろ書いています。というか書くことがたくさんあります。それというのもまさに現場での行動というのは理想をどう現実に落とし込むかというところで決まりますので、妥協について日々考えているということです。
妥協ということばってネガティブな感じも多く持っていますが、様々な人が関る社会ではお互いの妥協点を建設的に見出すこと無しには、ものごとは進みません。社会というものの中で妥協は生活に普通に有りますし、「政治とは妥協である」なんてことを言った学者さんもいるそうですが、社会を司るのにどのように妥協点を見出せるかということは社会の生命線でもあると思います。
この妥協という部分では、個々の人が、自身の持つ理想に対して、充実した付き合いがあること。自分がいいなと思うことにたいして沢山考えたり思ったり行動に移していることで、理想との関係が出会いから始まって、充実した関係をもっていること。関係性が豊かであることはとても重要です。
やっぱり本を読んで理想の何たるかを日々日々理解するのも大事だし、同じことをいいねと思う人と実際会って話して喜怒哀楽を共にするのも大事だし、その理想を実際に行動に移して他者に、地域や社会に働くことから表現することも大事。自分の仲間や、同僚や家族との生な関係で育まれる充実した関係性と同じように、理想とも関係を深められるのは幸運のひとつだとおもいます。
そして理想に対しても多いにリスペクトをもつのと同時に自由に相対せること。自分という存在が理想という権威の下にあるのでなく、理想と手に手をとって共に進んで行くこと。
理想に対して自由にあれる。そういうあり方を目指すこと。シュタイナー学校のように教育機関を目指そうとする組織においては、わたしたちの社会でも五本の指に入る公共的な場としての学校をつくるわけですから、シュタイナー教育とはいえひとつの理想に縛られる分けには行きません。やはりここでもシュタイナーが設立に関った最初の学校に自らの名前でなくヴァルドルフの名前が付いたのはとても象徴的だと思います。
あれはシュタイナー教育じゃない、シュタイナー学校じゃない。そんなことばを長年見聞きしています。気持ちも分からない訳ではないですが、やはりそこの部分って挑戦しないとダメになる。日本の企業がバブル以降鳴かず飛ばずなのと一緒で、出来上がったものにしがみついている形には未来はないです。対象から自由になるというのは、対象と自分とその環境を熟知してこそです。シュタイナー教育ってなんだろう、自分ってなんだろう、そして今という時代ってなんだろう。
ひとりの人が今の時点で、それらに対して、これっていう自分のことばをもっているかいないか。正解なんっていらない。その人から湧きだすことばがあれば十分なんです。ことばが湧いて欲しい。
それではまた明日。
シュタイナー学校をつくるということ⑤
そしてこの、理想と現実にその時その時、ふさわしい折り合いを付けることを促すにはお互いのパーソナリティーを認め合うような人間関係が不可欠です。そういう意味でシュタイナー学校はピラミッド型の上位下達の構造ではなく、フラットで得意なところを発揮して、苦手なところは助け合う相互扶助的な構造がそれにふさわしい組織構造になります。シュタイナー学校に校長先生がいないという話がでますが、その真意は、お互いの教師や職員がフラットに関わり、お互いに自身のパーソナリティーを遺憾なく発揮出来る組織が待望されているということです。もちろんシュタイナー教育の現場がそうあることもそうですが、実際はどんな現場も組織もそういった組織形態を望んでいるのではないでしょうか。私たちのパートナーや家族との関係もその通りだと思います。
葛藤に取り組めば取り組んだ分、必要な回答が訪れます。だからこそ自分が取り組むべきものに、そんなことも考えずにカラダが動いてしまった案件であればなおさら、自分を注いだほうがいい。そこに自分が必要な何かが待っている。だからそこに向かって動いてしまうんです。そしてその必要な何かって往々にして人です。新たに出会う人たち。新しい仲間たちです。
それではまた明日。