anjoe375のブログ

375、あんじょ〜のブログです。

シュタイナー学校をつくるということ⑤

 〜そこに自分が必要な何かが待っている〜
 
 全身全霊とまで行かなくともその人なりに、自分をそれなりに注ぎ込んで行く中で、理想と現実が折り合いを見出します。経験豊富な人もそうでない人も、それなりに、自分自身を問われています。そこでは安住するような地を見出せません。ほとんど葛藤の日々なんだと思います。ただ、その人自身をそれなりに注ぎ込みつつの葛藤は、それなりの葛藤の成果を必ず得られます。葛藤は一見面倒な事のような気がしますが、実際振り返ってみると日々日々自分自身に問いかけが立ってくる。そのことが、その人自身を、いつまでも瑞々しく保つ出会いのようなものになっています。

 

 

 そしてこの、理想と現実にその時その時、ふさわしい折り合いを付けることを促すにはお互いのパーソナリティーを認め合うような人間関係が不可欠です。そういう意味でシュタイナー学校はピラミッド型の上位下達の構造ではなく、フラットで得意なところを発揮して、苦手なところは助け合う相互扶助的な構造がそれにふさわしい組織構造になります。シュタイナー学校に校長先生がいないという話がでますが、その真意は、お互いの教師や職員がフラットに関わり、お互いに自身のパーソナリティーを遺憾なく発揮出来る組織が待望されているということです。もちろんシュタイナー教育の現場がそうあることもそうですが、実際はどんな現場も組織もそういった組織形態を望んでいるのではないでしょうか。私たちのパートナーや家族との関係もその通りだと思います。

 

 葛藤に取り組めば取り組んだ分、必要な回答が訪れます。だからこそ自分が取り組むべきものに、そんなことも考えずにカラダが動いてしまった案件であればなおさら、自分を注いだほうがいい。そこに自分が必要な何かが待っている。だからそこに向かって動いてしまうんです。そしてその必要な何かって往々にして人です。新たに出会う人たち。新しい仲間たちです。

 

それではまた明日。

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