anjoe375のブログ

375、あんじょ〜のブログです。

学校変わらなきゃ!?③


子どもも大人も学ぶ学校

公教育が難しい要因としては、

①公教育の制度設計が時代遅れになっていることと

②学校や先生への権威の低下

③親の教育参加の負の面

が引き起こしています。

富国強兵時代のファンダメンタルが校舎や前ならえ的な所作、運動会などの行事にまだ色濃く残っています。

相応しくない権威を引きづり下せてせいせいした感はありますが、学校の安定性は同時に揺らいでいます。モンスター的なクレームをあしらえなくなっている。

親の教育参加もルール無用で、よく出ているところと同じく悪く出てるところもあります。良い場合はあまり注目されないのですが、悪い場合は学級崩壊などにもつながり目に見える形になるのが分かりやすいですね。ただポジティブな面は多分にあるのですが、見えずらい、分かりずらいということも言っておきます。

今の時代を生きていくひとり一人のポテンシャルを最大化するような設計出なく、画一的であったり平均的な人を育てていく方法論しか持っていない。国を強くするための人育て。その人自身のポテンシャルを伸ばす、活かすという方向は基本設計としてはありません。

基本設計がない訳ですから、土台から作り変える必要があります。

まずは先生が公務員であることをやめること。先生というプロフェッショナルになる必要があります。プロ野球の選手同様実力主義です。もちろん若い方、先生になられたばかりの方の育成機関も兼ねます。こういった学校が出来始めの頃は、プロといってもまだまだ萌芽でしかなく、先生という仕事においてどういったことが大事なのかということを常識化する時間が10年20年必要だと思います。それまでの間は、先生、親、自治体の教育担当者、アクティビストみんなで先生という仕事を再設定していく時間になると思います。

雇用側は誰になるのか。これは親と学校の所在する地域、黎明期にはこういった教育制度を実現させようとする活動家が加わった人の集まりが運営母体になります。国は地域と法律を通じて間接的な関与になります。

先生同様、親もそれなりなハードルを要求されます。これはどうゆうことかというと、教育、とりわけ学校での教育においては、自らの子どもと共に学ぶ子どもにたいして、自らの子どもと同じように思える、扱えるかということです。  

もう一点は子どもの成長ということに対して科学的な側面から客観的に教育というものを見つめる知識や知恵を持っている、持とうとしているということです。こういった親が立ち上げの中心である必要があるとともに、こういった親と持続的に出会う方法を仕込む必要があります。

全員の親がすべてこういった親である必要はなく、親の2〜3割程度でいいかと。立ち上げ時は自然と割合は高くなると思います。

一見非常にハードルの高い話ですが、親の世代、特にお父さん方は、先行きの見えにくくなった現代の状況で、子ども学校を通じて会社とは別な生産的な人間関係ができることは多分にウェルカムだと思いますし、学校作りを通じてのマネジメントの観点、今とても大きな分野になってきている、コンプライアンス法令遵守)やリスクマネジメントの生きた事例を学ぶ等、キャリアとしてもとても魅力的なことだと思います。何よりも人材育成、若い世代の育成という意味では、親として社会人として、お金を出しても得られない自身の教育現場にもなり得ます。

今の社会では例えば、会社の経営などは、その仕事に携われるパイは、みんなの分はありません。大企業は30代半ばで幹部候補か否かを選別されます。新しい学校を作ろうみたいな、いわゆる社会活動、社会起業的な世界はそのパイを自分たちで設けることができます。そういった意味でも親にとってこういった活動は時間を必要としますが非常に有益なものになると思います。

こういった経営者意識をもって自らの仕事に改めて向かうことは、職場での仕事に必ず活きるはずです。

次回はプロフェッショナルな教師ということを突っ込んで考えたいと思います。と言いつつ親話をもう一回かも??

つづきます。
あんじょ〜
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