シュタイナーとの出会い⑨
〜日本発信のシュタイナー〜
初めて参加したテオゾフィー(神智学)の読書会で、自分にとっても必要なものだ!と直観出来たのですぐ鈴木さん訳のシュタイナー本を読みたくなり、その当時出ていた“自由の哲学”(鈴木さん訳としては2訳目)の私家版の本を即買いし、私の亀スピードな読書生活が始まりました。
当時はかなり移動の多い仕事をしていたので、移動の最中に難攻不落の“自由の哲学”に挑戦しては遭難し、挑戦しては遭難してましたが、一歩一歩登れる?読めるようになって行きました。鈴木さんからは動詞の動きを注視してという言葉があったのですが、私はまだそんなレベルにはいけず、助詞、助動詞、接続詞レベルを徹底的に見てました。私の最初に買った“自由の哲学”は、読み過ぎ、書き込み過ぎでボロボロなんですが、その当時の自分の格闘が目に見えるように、助詞や助動詞、接続詞などに書き込みが沢山してあって、このセンテンスがどこに繋がるのか、同ステップを踏んでいる文章なのかというのを丁寧にみました。小学生の子どもが文章をつたなく読んで行くような形で、必死に読んでいました。一行読んでは考え、一行読んではまた考えてと本当亀の歩みのようなスピードだったので、章とか一冊としての俯瞰が未だに苦手で、人にもパリッと説明出来ないし、俺大丈夫か??と心もとなさもありましたが、確かな歩みを歩んでいて、毎度毎度自分としてはとても手応えのある読みを出来ていたので、誰に言われずとも続けていました。
今考えると、鈴木さんの話を分からないという人に比べたら、自分はとても学が少ないというか低かったのと、なにか直観めいたものが働いたのが功を奏していました。自分が好きな音楽とかって直観的に好きですよね。これ!って誰に言われるまでもなく自明に好きですよね。だから勉強してますって感じは全く自分にはなく、すごくはまってる音楽を飽きずに聴いて,自分でも歌っちゃったりしてるような感じで読んでました。
面白いのはシュタイナーいいですねって言う人って結構学歴しっかりしてますよね。やっぱりシュタイナーに出会うのに活字からということになると、基本知的な方向からになります。今に続く昭和の学校教育の知性ということにまつわる刷り込みをやっぱり受けている方が多い。自分で考えて知性を育むというより、権威とか伝統を受ける形で知性を営む場合が多いですよね。美術館でみんなが解説や年表とかにたむろしてる感じで、なかなかこういうものは拭うのが難しい。ドロップアウトしていたわたしとしては、やっぱりそういった日本のスタンダードな教育を適当に受けていたのはよかったな。
シュタイナー教育もその一つですが、その場を体験したり、共有したりするところからのシュタイナーへの接点をもっともっと生み出したい。ちょっと突拍子もない話ですが、私、シュタイナーが世界へ広がるのは日本発信のシュタイナーだと確信してます。車もテレビも日本から世界に広がったように。生活の中に浸透させる力を私たちはもってます。それをシュタイナーでも活かしたい。一般化して広くやると内容が薄まるみたいなことも言われるんですが、そこが狙いなんです。どんな業界も込み入ってやっている人はごく一部。その層を意識的にも無意識的(基本こっちですが)にも支える層が多くないと話にならない。特に知的に込み入ってやる層は人の脳神経系と一緒で一番燃費食いますから下支えが欠かせません。
それではまた明日。
シュタイナーとの出会い⑧
〜乾いた喉を潤すように〜
ふわふわ巻のご一行との出会いも新鮮な驚きでしたが、
当時いちげんさん用に月に一回”出会いの会”
前のブログでも書いたとおり、
当時の鈴木さんは45歳くらい(
鈴木さんの翻訳やことばの遣い方が独特だっていう人が当時多かっ
鈴木さんのことばの取り扱いはとても科学的なんですね。
最近の鈴木さんの訳は(
それではまた明日。
シュタイナーとの出会い⑦
シュタイナーとの出会い⑥
シュタイナーの日常の常連かをさらに加速させたのは、ニューエイジ好きの友人との出会いだ。ひとりは高校卒業後通っていた英会話学校で出会ったHと、初めて就職した先の先輩のS畑さんでした。
ひとりで孤独に読んでいたシュタイナーでしたが、Hと英会話学校で本読むの好きって話になって、かれがラジニーシの「Tao」を読んでいて、ちょうど同じ出版社から出ていた「フラーがぼくたちに話したこと」という本を読んでいた私と、めるくまーる舎や工作舎のニューエイジ話になり、一気に意気統合して良くご飯食べたり出かけたりしてました。当時杉並に住んでいたのでHが住んでいる吉祥寺にはちゃりんこで行けることもあり、思い詰め系若者がの常套手段ですが、人生を語っていました。Hからはラジニーシやチャネリング話を良く聞いていてアトランティスとかあるんだーみたいな感じで。彼の父がチャネリングを受けていて、ついでに息子のもお願いしていて、Hは前世のひとつがエジプトで数学者っていうチャネリングの内容にかなり影響を受けていました。実際その後、大学に入って、院までいって理系の勉強してました。
S畑さんは10歳以上年上だったので、ニューエイジど真ん中の世代で、博識だったので社会や会社のことも併せていろいろ質問して、ニューエイジワールドを概観させてもらっていました。そんな中わたしはシュタイナーと平行して、ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」という本に引かれて、当時の私には難解でしたがノート取りながら丁寧に読んでいました。
ひとりで読んでいたトンデモワールドに興味をもつ同性代や大人がいるってのは私のシュタイナーへの関心に拍車をかけました。そんな中で、多分高橋巌さんの著作だったと思いますが、シュタイナーが普遍人間学で書いていた地球に人間がいなかったらとっくのとうに地球はカスッカスになってたみたいな言及を読んで、自分が探していたことばに出会ったような気がして、様々あったニューエイジ・ニューサイエンス的な流れの中で、シュタイナーに対する興味の高まり、信頼の高まりを感じていました。
それではまた明日。
シュタイナーとの出会い⑤
シュタイナーとの出会い④
しかしこれこそがむちゃくちゃハードル高いことなのかもなぁ。そう、これには人が望んでいる学びの場。それは家庭だったり学校だったり仕事場だったりしますが、老若男女誰しも必要なんですよね。