anjoe375のブログ

375、あんじょ〜のブログです。

シュタイナーとの出会い⑧

〜乾いた喉を潤すように〜


ふわふわ巻のご一行との出会いも新鮮な驚きでしたが、子安さんのお話がその一団の方々のふわっとした感じとはうって変わって、パリっとしたトークでThat’s学校の先生という感じで(大学教授なので当たり前ですが)、自分の中のミュンヘンの小学生とかを書いている人のイメージとはちょっと違っていたのと、あと子安さん自体に全然オカルトっぽいところがなかったのが好印象で、当時活発に活動していたシュタイナーハウスというところに言ってみようかなと、踏ん切りが付きました。


当時いちげんさん用に月に一回”出会いの会”という会が催されていて、5月にそこに足を運びました(ということで来年でシュタイナーコミュニティーデビュー20周年のあんじょ〜であります)。そこでフォーラム・スリーをやられていたしまだれいこさんことばの家の諏訪耕志と出会うことが出来ました。お二方を通じて当時シュタイナーハウスで行われていた活動を一望することが出来ました。


前のブログでも書いたとおり、シュタイナーの著作を読み込めば読み込むほど、混迷の度合いを深めていた私でしたが、子安さんらの流れで出来ていたシュタイナーハウスなので、シュタイナーの考えに関心がある人より、シュタイナー教育や、オイリュトミーに関心が会って勉強しているという人が多く、なかなか私の混迷っぷりを共有できていませんでした。後は、シュタイナーハウスに通い始めても結構皆さん本とか読まれてないんだというのが新鮮でもあり、お前の理解は浅いっ!かぁーつ!!みたいな世界だったりしてとも思っていたので、ほっともしていました。そんな中、諏訪さんから鈴木一博さんの読書会に出てみたらと進められました


当時の鈴木さんは45歳くらい(今の自分とあんまり違わないんだ、、、驚き)。今からだとなかなか想像つかない方も多いかもしれないんですが、結構怖い感じだったんですよね。私、多分5、6年するくらいまで質問するのにとても緊張していました。鈴木さんの独特な読書会の進め方は、馴染めない方も多いかも知れませんが、私、鈴木さんの話を聞いた時に(その時はテオゾフィー神智学の読書会でした)パカーンと開いたんですよね、何かかが。何かが開けた。今まで混迷を深めていたものが一気に堰を切ったように流れ出した感じでした。シュタイナーってなにか自分が高まんないとわからないものなのかもっていうところにとても引っかかっていて、その軍門にくだらないとだめなの??というところで軍門には下りたくないってどこかで思ってたんですが、鈴木さんの話の中で、一発でそういうことじゃないっていうことを話していることだけは分かって、おっしゃーって一人で盛り上がってました。


鈴木さんの翻訳やことばの遣い方が独特だっていう人が当時多かったんですが、私はそういう鈴木さん評が自分にまったく的を得なくて、単純に今の自分のままでOK。別な何かに変わらなくっていいってところがほんと晴れやかでした。そして鈴木さんのことば遣いが当時古いことばを使う、やまとことばを使うとか知的な人が言っていたのとかほんとどーでもいいわーって思ってました。自分は大学とか行って変に勉強しなくて良かったともとても思いましたね。


鈴木さんのことばの取り扱いはとても科学的なんですね。なかなか理解されないかもしれませんが。科学的かつ芸術的です。ゲーテが学問と芸術を持たないものは宗教を持つがいいということばの逆で、宗教を持たない私は学問(科学)と芸術が必須。それを見せてもらえて、乾いた喉を潤すように、鈴木さんの訳で出ていた自由の哲学を貪るように読んでました。 


最近の鈴木さんの訳は(鈴木さんの話よくわからないっていう人すみません)、ブランデーのような豊穣さがあるのですが、やはり自分が貪るように読んでいたころの、今から比べると荒削りの鈴木さんの翻訳が私にはガツッとくる感じですね。「自由の哲学」だけでも鈴木さんは4回訳されていて、その4つともすごい違うんですよね。私のライフワークはこれを誰もが読みたいってときに手に取れるようにすること。書籍化(電子書籍を含めて)していくことなんです。あー、とてもこのメインジョブを遂行できてない今日この頃、、、。全国の鈴木さんファンの方々すみません。これから改めてエンジンかけて行きます!!


それではまた明日。

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