anjoe375のブログ

375、あんじょ〜のブログです。

シュタイナー学校をつくるということ③

  〜状況に自分なりに応える〜


 シュタイナー教育やアントロポゾフィーの実践に関る人は去ることながら、何かの目標や理想をもって活動する人は、この理想を現実に同どう活かして行くか、実現していくかという難題をみな抱えている訳ですよね。たとえばシュタイナー学校を作りたいといったら、人材的に資金的にも基本的にじり貧のところからのスタート以外は普通ないと思います。

 

 この難題。理想を現実に活かすという難題。理想を現実に活かし始めるにあたって、その時その時、理想と現実にふさわしい折り合いを付けて行くこと。このことが実現されるのは、ひとりひとり、全身で、その人まるごとのパーソナリティーをその仕事に注ぎ込んで初めて実現されると言うんです。


 パーソナリティー。Per Sonar。ひとつひとつ、個々の音。ひとりひとりの持っているものをまるまる注ぎ込む。いい仕事というものは、これ無しには出来ないですよね。


 ただこういうことをすることが出来るようには日本の教育も社会もなっていません。もちろんこういう方向性はおおく目にするようになってきています。企業の中でも、ひとりひとりのパーソナリティーを発揮することが業績を向上させることに気づき始めています。それでもまだまだ旧態依然とした組織、特に役所関係や学校などは、旧態依然とした傾向は強いです。


 余談ですが、今、次男の幼稚園の担任のK先生のクラス運営はとてもいいんです。それはひとりひとりのお母さんのありかたをバランスよく認められているからなんです。保護者会、懇談会ではやはり先生が話しすぎたり、よく話すお母さんが主に話をするような場合は、保護者会に出席しても意味ないなと思うお母さんがかならず何人か生まれます。クラス担任や主導的なお母さんにこのバランス感覚があると、お母さんたちは保護者会などで自分の居場所があることをそれなりに分かるので、その人なりの関わりをクラスに対して付けて来ます。いろいろあるとは思うんですが、ひとりひとりのお母さんがその人なりに自分の子どものクラスに関わりを付けられると、クラスの雰囲気は悪くはならないですね。

 このひとりひとりのパーソナリティーを発揮することは、責任という考えを一歩前進させます。自分のパーソナリティーを発揮する。私はこれなら出来る。この部分なら出来る。そういった現場の状況に耳を澄まし、自らが応えられるところに手を挙げていく。

 日本の責任は手を挙げた後の仕事を確かにやり遂げるという完了形方向の意味に重きがあって、その完了形の発端である、一石を投じる方向性。チャレンジや投資としての意味合いがあまり意識されません。

 責任はResponsibilityの訳語だと思うんですが、まさに応じることの意味が語源でもあります。状況に自分なりに応えられることを担っていく。これこそ社会性という言葉の意味なんじゃないかなと思います。

それではまた明日。

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