anjoe375のブログ

375、あんじょ〜のブログです。

シュタイナー学校をつくるということ②

 〜今この時点での最善の落としどころ〜

 

 私たちが受けて来た教育を取り巻く環境。またそもそも私たちをとりまく社会の環境が人であることの丸ごとが求めるものから、まだまだ遠く隔たっているということも、現状を見れば、ひとり一人それぞれに実感出来ると思います。

 

 私たちがこんなふうだったらいいなという、理想として求めるもの。ひとりの親の生活の中からぽろっと出る一言から、長年研鑽を重ねた研究家の一家言という振れ幅まで、この理想のふところは、大きいです。そういったことをに関っている人が気づきながら、作り上げていく、関っていく。この”ひろやかな理想に気づきながら”ということが、基本形としてあります。

 

 そんなひろやかな理想に向けての話に続けて、それに向けての道行きには妥協が不可欠であることをシュタイナーは言うんです。ここら辺もしがないサラリーマン生活をしている私としては面白いし、ありがたいこどばです。

 

 いってみれば今この時点での最善の落としどころに落とすということなんだと思います。

 

 わたしたちの社会のスタンダードな教育システムは、わたしのような団塊ジュニアの時代の公教育よりさらに疲弊しています。わたし自身が子どもの時でさえ、子ども目線でも教育の方向性にどおよと思わずいられませんでしたが、それがまだ反面教師として受け取れる程度のものでしたし、教師間の人間的なコミュニケーションがありましたし、親が先生にそれなりに敬意を払っていました。

 

 21世紀の10年代の今、教師同士のつながりも難しくなり、親は先生に過度なクレームを浴びせたりする事がそれほど珍しいことでは無くなり、ごく一般的なことになっています。このようなとても理想的とは言えない、教育現場の現状の新手のひとつとして、シュタイナー学校、ヴァルドルフ学校が立つことになります。

 

 そういう意味では、シュタイナー学校にやってくる教師も親も、この現実の環境を当然、大なり小なり引きずってやってくるわけです。そこで理想の教育はこうであるべし的な対応や雰囲気が過度にでれば、現実と理想の折り合いがつく訳はなく、わたしたちや、その社会を耕すという行為もおぼつきません。

 

 たとえが極端かも知れませんが、体力の弱っている人に、良いからと強い薬を飲ませたら、体力が持ちこたえられずさらに病状が悪化するようなことと同じようなことがおこってしまいます。

 

 理想と現実に折り合いをつけること。この重要性をこの普遍人間学の前書き的なところで、ではっきり述べていることが以外にスルーされているよな、と思いますが、だからこそこれからのわたしとしてはしっかり意識して行きたいところです。

 

 これって特に、教育とか医療とか、公共性の高い現場であれば有るほど重要になるところなんですよね。

 

 あしたにつづきまーす。

f:id:anjoe375:20140927082058p:plain