anjoe375のブログ

375、あんじょ〜のブログです。

シュタイナーとの出会い②

〜歯科技工士かよっ!!〜

 

 高校3年生から遡ること6年。小学校6年生の時にミヒャエル・エンデの「はてしない物語」が「ネバー・エンディング・ストーリー」として映画化されて、日本でも公開されていました。

 当時SFX映画が様々なジャンルで公開されていました。ゴーストバスターズグーニーズバックトゥーザフューチャー等など、同世代の方ならあーって感じの時代です。

 ファンタジー物としては当時絶大な人気を博した「ネバー・エンディング・ストーリー」。ちょうど映画が楽しくなってくる年頃だったこともあり、ファンタジー物もとても好きだったので夢中になって見ていたことを思い出します。「ネバー・エンディング・ストーリー」のストーリそのまま、現実なのか映画なのか分からなくなるような感じで没頭してその世界観に浸ってました。後日談で、原作を読み、彼の背景なども少し知って、エンデ自身がこの映画を気に入っていなかったことを知ったのですが、配役といい、SFXで再現したフッフールや様々な登場人物もすごく凝ったデザインで(今時のコンピューターグラフィックと比べたら勝ち目はないんですが)、作り手の思い入れを強く感じれる作品だと思うんですよね。原作の一部分を映画化したものではあっても、見る側としては今でも好きな映画のひとつです。原作は映画化出来るようなものでもないので、商業化する形としては悪くなかったとは思いますが、原作者としてはゆるせなかったんでしょうね。

 私にとってこの「はてしない物語」がとても印象的だったのは、主人公のバスチアンと自分の境遇のでした。母を早く亡くし、歯科技工士の父と暮らすバスチアンの境遇が、親の離婚で小1以降、歯科技工士の父と兄弟とおばあちゃんと暮らしていた自分とだぶり、こんな不思議なこともあるのかと子どもながらに運命的なものを感じました。歯科技工士も珍しい仕事ですし(小学生は聞いても知らない子が多かったし、、、。友達には入れ歯みたいなのつくるやつって説明してました。差し歯っていっても小学生はほぼ分からないですよね)、わたしが子どもの当時は、離婚も周りであまり聞かなかったし、父親が子どもを引き取るケースもレアケースだったと思います。

 余談ですが、離婚って言葉の前に離婚の現実を生活をもって知っていたので、三浦一義事件、懐かしのロス疑惑!(若い人は知らないよな〜)のニュースが夏休みにワイドショーでやっていて、離婚だどうだって話をしていて、あーっ!、うちって”離婚”!なんだって知りました。言葉よりも先に現実をしっているってとてもいい体験ですよね。一般的に言う言葉は、言葉が現実でなくて、その言葉が指そうとする現実が、現実なんだってことをすごく印象的に体験できました。

 余談はさておき、不思議な事もあるんだなということと、それと同じくらい”幼ごころの君”に新しい名前を付けるというモチーフがすごく印象に残っていました。

 自分が物語の生みなし手になる。その物語というのは自分の人生でもあるんですけど、その物語の生みなし手になるというモチーフ。そのモチーフがわたしにとってとても今でも大事なモチーフとなっていますし、その後20代の時、シュタイナーで挫折しそうになったときの救いのひとつになってくれました。

 本を通して物語を読んでいたバスチアンが、幼ごころの君を見る感じとか、とても映画でよく表現出来ていたと思います。あの時、子ども心に感じた何かを今でも生々しく感じられるような体験でした。

それではまた明日。

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