シュタイナー学校をつくること⑦
〜新しいことばを見いだす〜
“普遍人間学”の挨拶の最後は、シュタイナー学校の教師、ヴァルドルフ学校の教師は前回の回の話に出ててきた、今の時代へのいきいきとした関心を持って欲しいということでした。
文字通り、自らが生きる時代へのいきいきとした関心をもった大人になって欲しい。自由への教育のような、分からない人にとっては抽象的にしか響かないことばより、時代へのいきいきとした関心をもてるように、ということばは具体的でシュタイナー学校というところをとてもよく表していることばだなと思います。
時代への関心。今の時代ということがくくる範囲というのはとっても大きいですね。しかも固定的でなく動いている状況への関心でもあります。時代をとらえる自分ということへの問い。今の時代を作ったこれまでの歴史、そしてこらからの未来。時代を見つめる自分のいる場所と世界との関わり。時代への関心をどうもっているかということは、わたしたちの学びの総決算的なものなんだと思います。
これはものすごいテーマなんですよね。私もいつもどきっとさせられることですが、人ってやっぱり自分が住んでる世界のことを見がちですよね。夫婦でさえ相方の世界観を以外に見れてなかったりしますよね。
これはどうしょうもないです。やはりひとりの人の限りがある。田舎に行って思うのは、巨大なパチンコやさん。このパチンコやさんの常連さんの世界観をわたしはどれだけしっているのだろうか。国を違えばもっとですが、今内戦で大変なことになっているイラクに住んでいる人のものの見方。モスクワに住む人の日常生活。デフォルトを体験しているアルゼンチンの人の貨幣感覚。分からないことが沢山あるんだと思います。
ひるがえって、自分のものの見方や日々の感じを分からない人々が沢山いることも分かりますよね。本当に分からないことだらけの世界なんです。なので回答はいつもどことなく据え置き?to be continued がちょうどいい感じです。
繰り返し繰り返し、飽きずに勤しめる。そのときそのときいきいきした体験を自分が働きかけることで生み出せる。これはまさに芸術といわれるものの特徴ですし、そういう意味では、あきずに懲りずに、その人なりに何かに取り組めているそのことは、外見はどおであろうが芸術的な行為です。
教育芸術なんてことばも、ほとんど死んだ響きしかないかもしれません。”はてしない物語”そのものですが、わたしたちは教育芸術にも、シュタイナー教育にも、きっと新しい名前、ことばを見いだしていかないといけないんじゃないかな。
今あるシュタイナー学校にも、これからできるシュタイナー学校にも、関わる人たちで新しいことばを見いだして行きたいですね。
それではまた明日。
(このテーマはひとまずここにて終了)